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zoom RSS ふたつの中城御殿 

<<   作成日時 : 2015/12/04 23:25   >>

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 中城御殿 (なかぐすく うどぅん)  琉球王国 近世から近代にかけての時代、代々の世子が住まった お邸を呼びます。
 現在の 「首里高校内 」 と 「 旧沖縄県立博物館跡 」 に 存在した、ふたつの中城御殿跡から発掘調査された 興味深い資料が 《沖縄県立埋蔵文化財センター》 で 企画展示されています。



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 中城御殿が、旧県立博物館跡地 以前は、現在の首里高校にあったことを 初めて知りました。

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 首里高校内に かつて存在していた 中城御殿は、尚豊王(在位1621〜1640年) の代に 創建されたと 解説されています。

 現時点では 施設に関する詳細な情報は無いものの、1700年代前半に作成された 『首里古地図』 に その存在が描かれています。



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 《 首里高校内 発掘 》
  中城御殿が創建される以前の遺物
  ガラス器の破片は県内でも例がない
  キャプションには「グスク時代」と



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 《 首里高校内 》
  手前は、中城御殿内で使われていた
  中国や東南アジア、本土産や沖縄産
  の陶器類
  一か所に捨てられていた 

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 明治元年(1868年) 現 首里高校から、 龍潭池北側 (旧県立博物館跡) への移転が決まった 中城御殿は、明治7年(1874年)に竣工。
 翌年、立太子となった 尚典(しょう てん) が移転しています。

 その わずか4年後、1879年 廃藩置県による琉球処分で 王国は滅亡します。


 首里城正殿などで暮らしていた 尚泰王や王族は、首里城明け渡しにより 一時的に その中城御殿に移り住みますが、明治18年(1885年) 華族となり 東京へ移転します。



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 《 旧県博 発掘 》
  創建後から 昭和初期頃まで使用されて
  いた 中国宮廷用に製造された陶磁器や
  肥前産の大皿など
        


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 《 旧県博 》
  戦時中に避難させたと思われる
  木製朱塗りの位牌




 中城御殿は 昭和20年、第二次世界大戦により焼失しますが、 それまでは 尚侯爵邸として 王府の伝統的なしきたりが 維持されていた空間であった と 解説されています。

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 旧県立博物館中城御殿跡 階段跡



 中城御殿が 龍潭北側に移転したのは近代のことで、尚典の住まった期間はこんなに短かいものだったんですね、、

 

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  「屋根伏図」
              



 首里高校内にあった中城御殿は、名残は見られないようですが、 龍潭池北側 旧沖縄県立博物館跡に かつてあった 中城御殿は、威風堂々な石垣が廻らされています。


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 首里城と違い、跡地しか残っていない中城御殿の存在を、不思議と 現実的に捉えられるのは その石垣が残っているからかもしれません。

 怒涛のように押し寄せる時代の波を、この石垣はまともに受け止めてきたんだと思って、感慨深く眺めてしまいます。



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 旧県立博物館の中城御殿跡地は 遺構が良好な状態で残っていることから、御殿の復元が計画されています。
 沖縄県立埋蔵文化財センターの、発掘調査の成果の全容が 早く見てみたいです。

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