琉球初心者マーク ~第一尚王統 と 第二尚王統~


 約500年の歴史を持つ琉球王国は 大きく二つの王統に分かれています。
 『 テンペスト 』 の主人公 孫寧温が 性を偽ってまでも王宮に入ったのは、孫一族が 第一尚王統の末裔であり、 第二尚王統を倒し 第一尚氏王朝を復興させたいとする 父の夢がきっかけでもありました。


画像



 1406年、尚巴志(しょう はし)が、 北山、中山、南山と 三つに分かれていた勢力を 初めて統一、 父 尚思紹(しょう ししょう) を初代王にたて 第一尚王統 がはじまります。 
 日本は室町時代、中国は 明の時代の時です。



 すでに 中国との冊封体制が執られていて、中国や東南アジアと盛んに貿易を行ない、首里城周辺の 整備・拡充がなされ、 三線・紅型・泡盛など、琉球文化の基礎がつくられ、 琉球王国の基盤は 第一尚王統の時 築かれたといえます。


 6代王 尚 泰久(たいきゅう)の時には、琉球の象徴ともいえる 「万国津梁の鐘」 が 鋳造されています。 銘文からは海洋王国として大いに栄えていた事が解ります。


画像



 ・・が、 第一尚王統は7代、64年間で幕を下ろします。

 7代王 尚 徳 (とく) は 稀にみる暴君だったと 歴史書で伝えられています。 
 尚徳王の薨去の後、人民に非道だった政治を反省した役人達から、 世子を廃しよう! と 声が上がり クーデターに繋がっていきます。



 『テンペスト』 はフィクションですが、孫一族 (実は王族で 尚姓) は、このクーデターの最中、上手く逃げ延びた、、 と いう事になります。



 『 伝説の王墓 天山陵 』 で記事にした、 重臣 金丸(かねまる)派が起こした このクーデターで、 金丸は即位して 尚円(しょう えん)となり、 第二尚王統 がスタートします。


画像

   第一尚王統 の王墓 『 天山陵 (てんさんりょう)』
 


 前王朝を倒した にも係わらず、 尚の姓が維持されたのは 中国との冊封体制にあります。 
 中国明朝に対しては、 あくまで 世子への継承のため 尚姓が一貫されました。

 29歳で薨去した 尚徳、 世子として後を継いだ 尚円 は56歳だったのですが・・



 尚円王を始祖とする 第二尚王統は その後、19代 410年 続きます。


 中でも、尚円の子 3代王 尚 真 (しん) は 琉球王朝の栄光を築いた王といわれ、その後の王国を 維持していく基盤、中央集権体制を整えました。

 身分制度や 聞得大君を頂点とする神女組織、地方の行政区画の整備なども。

 又、その他多くの業績が 首里城正殿の欄干の碑文 「百浦添欄干之銘」 に記されています。




 第二尚王統の時代は、 その後、日本からの圧迫や 薩摩の侵攻、 頻繁にやってくる外国船への対応、 そして ペリーの来航、、 時代の荒波に 翻弄されていく一方で、 琉球の個性を 最大限に生かした外交を繰り広げ、 芸能・工芸の文化を 花開かせていきます。


 小国ながらも 何色もの色を発光させる 眩い宝石のような国、 琉球王国は そんな美しい国だったと、琉球史に触れるたびに思うのです。


画像

 まだ 放映2回目の 『テンペスト』 ですが、すでに眩しい色が溢れていますよね~ ♪



 参考 : 『ジュニア版 琉球・沖縄史』 沖縄歴史教育研究会 新城俊昭
      『沖縄・琉球王国ぶらぶらぁ散歩』 おおき・ゆうこう 田名真之

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 尚円王の息吹を感じる 内間御殿

    Excerpt:  第二尚王統の始祖 尚円王が 金丸と呼ばれていた時代に住んだ 内間御殿 の敷地を巡ってみました。  かつてを彷彿させる 重厚な石積みや井戸、御嶽などの遺構が点在していています。 Weblog: 沖縄~ パライバブルーな季節風 racked: 2016-01-17 11:15