琉球初心者マーク ~(2) 分断?独立?沖縄の行方~


 廃藩置県で 「沖縄県」 と 改名した琉球・・・   なぜ沖縄?   
 古くから 人々が自分たちの住む沖縄島を 「ウチナー」 と 云っていたことが基になっているようです。


 「おきなわ」 の表現は、『平家物語』 に初めて登場しますが、 「沖縄」 は17世紀の薩摩の史料に登場しています。

 新井白石が 著書 『南島志』 に 「沖縄」 と表記したことで 一般的になったそうです。


 私は、沖に 縄のように長く 弧を描いて在る島だから・・ と 勝手に想像していましたが、この当て字には 少しは その意味が含まれているような気がします。



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 1879年、 琉球処分 によって 沖縄県 が設置されましたが、これを清国が認めるはずがなく、琉球内でも 親清派の人たちが 清国に救援を求める運動を繰り返していました。


 清国は この調停を、アメリカの前大統領グラントに依頼、 グラントは日本を訪問し 伊藤博文や政府高官と琉球問題について会談をかさねます。



 1880年、日本が中国に使いを送り  出した提案は三つ。

 ・ 沖縄諸島以北を日本領土とする
 ・ 宮古・八重山を中国領土とする
 ・ 上記の内容を認める代わりに、日本商人は中国で 欧米諸国並みの商業活動ができるようにする




 都合のよすぎる日本の提案を、中国が受け入れるはずがなく、逆に 中国の出した案は・・

 ・ 奄美諸島以北を日本領土とする
 ・ 沖縄諸島を独立させ、琉球王国を復活させる
 ・ 宮古・八重山は中国領土とする




 日本側の拒否に、琉球問題の早期解決を目指す清国は 日本案をもとにした正式交渉を受け入れ、両国は日本案で合意します。

 合意はしたものの、琉球の亡命者からの請願や、清国にとっては 後に問題を抱えかねない内容に 正式調停は棚上げになります。



 この混乱の時、琉球から清国に送られた密使のひとり、林 世功 (りん せいこう) は、日本案を受け入れた清国に 琉球国の救済を訴えた嘆願書を提出し、38歳の若さで 自らの命を絶っています。

 おなじく、密使として清国に赴き、暗躍の後 客死した 幸地 朝常(こうち ちょうじょう) の位牌が、7月初め、130年余りの時を超えて 故郷に帰った という話題は 地元紙を賑わせました。



 棚上げにされた琉球の帰属問題も、国際情勢の変化にともない、日清戦争の日本の勝利にともない、自然消滅の形で 日本の領土に納まりました。

 1880年のことでした。



 「琉球処分」 って何ですか?
 沖縄 という土地は、いろんな側面から見ても、いつの時代にも、 魅力に溢れた土地に違いなかったようです。
 今、現在も・・ と 思うのです。

 参考: 『琉球・沖縄史』 沖縄歴史教育研究会 新城俊昭著

この記事へのコメント

2013年08月05日 19:25
全然知らないことだらけでした。
勝てば官軍 じゃないですけど、日本人として沖縄 八重山諸島が日本であることが本当に素晴らしいです。
2013年08月05日 22:35
過去、沖縄にはこんなことがあったんですね・・ 私もまったく知らないことでした。
この小さな島嶼県は奥が深すぎます。

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