円覚寺 「山門」 復元へ

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 タイトル そのまま頂きました。
 27日付の地元に発表された 「待ってました!」 な うれしい情報です。


 首里城に隣接し、第二尚氏王統 の菩提寺であった 「円覚寺跡」 に、新たに ≪山門≫が復元されるというのです。


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 円覚寺の歴史など沿革は 2011年に綴っていました。



 その跡地には、すでに ≪総門≫が 復元されています。

 が、訪れる人たちは、もう 間近にせまった 美しい城と城壁に ひたすら目を奪われるものですから、かつての王国を信仰面で支えていた この菩提寺は うっかり見落とすデッドゾーンのようです。


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 かつて、楼閣を構え そびえるように建っていた 山門 (三門とも)。

 門をくぐると 七堂伽藍の仏教世界が広がっていました。


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           戦前の円覚寺 仏殿と 右手に鐘楼


 1933年、国宝に指定されましたが、戦災で焼失しました。




 首里城を訪れるたび、円覚寺に 立ち寄るのがクセになっていました。
 階段を上り詰めた先の 伽藍の跡地に変化はないか、 復元工事の気配はないか・・・


 夢が叶いそうです・・ いつか 山門ををくぐりたいと、ずっと 思っていました。

 2015年度中に着工し、早ければ 2018年に工事完了とか・・
 ジワジワと タイムスリップを 重ねている 首里城周辺です。
  
 
 
 


 

この記事へのコメント

2014年11月02日 11:11
ついに復元ですね。
首里城を含め、どんどん復元されつつありますね。たのしみです。
2014年11月03日 12:27
欲張りなもので、山門が出来れば、次は その先の仏殿を眺めてみたいとか 思ってしまいます(笑)
でも、楽しみができました。
Kai
2016年09月13日 09:54
~沖縄の首里円覚寺の伽藍配置について~

伽藍は西に面しており、前面中央に総門を配置し、その左右に脇門を構えていました。

西から東への進行方向に沿って、総門を入ると放生池があり、池をまたぐ形で放生橋、山門(三門)、仏殿、龍淵殿(方丈)が一線上に配置されていました。

山門(三門)と仏殿の間の右側(南側)に鐘楼が置かれ、仏殿の左側(北側)に御照堂が、仏殿と龍淵殿(方丈)の間の左側(北側)に獅子窟がありました。

龍淵殿(方丈)の右側(南側)には庫裏がありました。

庫裏の手前(仏殿の右奥側(南側)には井戸が設けられていたようです。

<注記>:首里円覚寺の放生池とは捕らえた魚を放して生かす池のことで、仏教の慈悲行を意味しているそうです。
Kai
2016年09月13日 10:23
~(首里)円覚寺平面図発見~

琉球朝日放送 報道製作部
2015年4月17日

「琉球王国時代、尚家の菩提寺だった首里円覚寺の、沖縄戦で焼け落ちる前の姿を記録した貴重な図面が、2015年4月16日、報道陣に公開されました。

沖縄戦で消失した(首里)円覚寺ですが、今回公開された図面では、9つの建物の20分の1から50分の1の測量図のほか石垣や柱のサイズ、敷瓦の配置の様子なども記されています。

今回発見された図面で、将来、より忠実に(首里)円覚寺の復元が可能になると期待が寄せられています。」
~以下省略~

<注記>:図面は沖縄美ら島財団収蔵の森政三(1895年~1981年)のコレクションに含まれており、貴重な資料だそうです。

一日も早く第二次世界大戦の沖縄戦で焼失した、首里円覚寺の全建造物の復元が始まるといいですね。
2016年09月17日 12:31
Kaiさん お返事とお礼が遅くなりました m(__)m
綴って下さった伽藍の配置が目に浮かぶようです。
こんなに 詳細な記録が残っているのなら、戦禍を受ける前の 本来の円覚寺が復元されるのも夢ではないですね、、
沖縄にあった 本格的な仏教寺院の姿を 幻のように描いていましたが、いつか その伽藍に立つことが出来るかも と思うと、楽しみでしかたありません。
情報をありがとうございました。

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  • 円覚寺を支えた礎盤

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