ここだっ 護佐丸の墓

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 中城城址公園の駐車場を出て 道路を右方向へ、 テクテクテクと 約10分。
 大きなカーブの 下り坂の先に海が見えて 赤い屋根の民家が見えたら、 民家の手前を 左の脇道へ、、
 少し進むと 道路わきに 石碑と階段がありました。


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 ここだっ 護佐丸公の墓!


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 中城城跡は何度も訪れているものの、近くにあるという 護佐丸の掃苔までは出来ず、ずっと 心残りでした。


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 墓地までの この階段の風情、、 いいなぁ

 整備された階段に沿って 古い石畳が残されています。  


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 あえて 保存されているのですね、 昔は この石畳の坂を上ったのでしょうか、、
 うれしくて ワクワク感が倍増します。



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 墓前です、 手入れの行き届いた りっぱな亀甲墓です。
 現存する亀甲墓では 県内で 最も古いのだそう、、



 護佐丸は、 第一尚王統6代王 尚泰久の忠臣として 琉球史に名を残しています。

 護佐丸を おとしめんとする 勝連城主 阿麻和利 の策略により 王府軍に攻め入られるも、 忠義心から 交戦することなく 自ら命を絶ったとされています。

 この ≪ 護佐丸 ・ 阿麻和利 の乱 ≫ は 琉球史上、もっとも有名な説話と いえるかもしれません。



 護佐丸の子孫とされる方々は 大変多いと 聞いたことがあります。

 忠義を立てた故に 非業な死を遂げた 始祖を敬い、誇りに思う気持ちが 末広がりに繋がっているのでしょうか、、


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 石碑が立てられています。

 表題には 「 毛 国鼎 護佐丸之墓 」  毛国鼎 (もう こくてい) は 中国との外交上 使われる 唐名(からな)です。



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 裏側は、、 あれっ、、

 子爵 ( と 読みますか?) と 刻まれた その下部が読めません。
 流れでいくと、その子爵の名前が 刻まれていると思うのですが、 削られているように見えます。

 いちばん下の文字は 「 題 」 と あるので、 ○○子爵が 石碑の刻銘に 大きく関わってると想像できるのですが、その名前が 故意に削られているように見えるのです。


 ・・ と 考えれば、 ちょっと ミステリーで面白い♪ と 思いたい 私の妄想です (^^ゞ


 墓域を出て 階段を下ると、穏やかな 中城湾が見下ろせました。
 没して 559年、 護佐丸公は 今では 心中 穏やかに 眠っているのでしょうか、、

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