倭寇を侵入させない城の話


 沖縄には ≪ グスク ≫ と 呼ばれる 数多くの 石積み建造物がありますが、 今回 倭寇対策のために 設置された城にスポットをあてた話を 聴く機会がありました。


 講題は 「 倭寇対策の城 」


 倭寇 = 海賊 = 日本人 ?


 倭寇は、普段は海を介する商業集団ということでした。  
 ・・図巻に描かれた倭寇は日本人でした (/ω\)


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 ただ、常に 略奪を繰り返していたわけではなく、取引の不和や 貧困の解消、政治体制に抗うため など、 略奪行為の契機は様ざまで、 ≪ 倭寇 ≫ とは、 単純に日本人を 指すのではなく、 この行為を言い表すのでは、との お話でした。  
 実際、16世紀後半の倭寇は 中国人が主体だったとか、、



 さて、中国における 倭寇対策、 記録では 明時代の 1368 ~1374年の間に 23回も 倭寇の襲撃を受けています。
 沿岸部の治安悪化の解決策として  「 衛城 」 「 所城 」 と 呼ばれる 施設が設置されました。


 講座では 中国 福建省に 今も残存する、倭寇対策の 様ざまな石積の城を 紹介してくれました。

 ひとつの城に 1000名余りの兵を置くほど城塞化した 大規模な城もあれば、集落民が建設した 小規模な城もありました。


 福建省といえば、かつての 福州、 琉球国の進貢船の着港地でした。

 石積の建造物を 城(グスク) と呼ぶ 所以、 その施設の出入り口には アーチ門が多いこと など、琉球の グスクの原点にも思えてしまいました。 (この件、私の妄想です)



 琉球と倭寇の関わりは?

 史料には、1556年 倭寇の残党が 那覇湊に現れ 撃退した、 との記録が 一件だけ あるのだそう。

 現在は 存在しない 屋良座森城は 倭寇対策として 1553年に建設されたと考えられています。


 那覇港 といえば、 三重城御物城 が 現存します。

 「 御物城 」 は 交易品のための倉庫でした。

 防衛のグスクとしては、 現存する 「 三重城 」  「 屋良座森(やらざむい)城 」  「 仲三重城 」 は 砲台場でした。

 国場川河口の立地を 上手く活かして設置された この 三か所の砲台場が、那覇湊に侵入してくる外敵を 連携して防衛する という内容は、現実味を感じて 面白いものでした。


 1609年、薩摩軍船の侵入を 屋良座森城と 三重城に繋げた鎖で 阻んだ という記録もあります。



 鎖国だった日本が 品川に砲台を 置いたのは 1854年、 海洋国家 琉球国の 外洋に向けられた早い対策が興味を引きます。



 講座では、中国 明時代の城の在り様が 数多く 画像で紹介され、琉球との関連性も考えずには いられませんでした。
 博物館は 歴史の視野を 広げてくれます♪

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