伊是名殿内の墓の主


 那覇新都心にある 伊是名殿内(いぜなどぅんち)の墓 の前を通りかかったら、墓域の雑草がきれいに刈られていたので ちょっと 足を踏み入れたくなりました。
 沖縄の雑草は成長が早いので、この 格好の機会に 画像も撮らせていただきました。


 過去にも記事に取り上げて、カテゴリーの「 墓 」に含めている ≪ 伊是名殿内の墓 ≫
 改めまして おじゃまします m(_ _)m


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 伊是名殿内の初代は、琉球士族 向氏 伊是名親方(ウェーカタ)朝宣。
 向 (しょう) は、国王に繋がる 親族に与えられる 氏 です。 本家の 王家 尚氏に対し、分家筋になります。

 Wikipedia によれば、例年の 清国への進貢使の他、イギリス、フランスなど外国船への対応策を国王に任されるなど 外交交渉にも尽力しています。 また 1850年には、最後の琉球王 尚泰王即位の 謝恩副使を務め、江戸上りもしています。

 その後、伊是名島・伊平屋島の間切( まぎり=琉球の行政区分 ) を 領地とする 総地頭職に任命されたことで、伊是名親方 とも称されました


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 建設年は 19世紀後半、幅 約22m、奥行き 約30m、面積 約660㎡、県内最大級の亀甲墓です。
 墓域は 大きな石の相方積みで囲まれていて、規模だけではなく 荘厳な造りにも圧倒されます。

 立派な 亀甲墓は、悪い風が流れ込まないよう 二つの門をクランク上に立てて、風水に添った造りになっているそうです。


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 かつては、伊是名親方を始祖とする 門中の方々のお骨を納めた厨子甕が いくつも入っていたはずです。

 門中(もんちゅう)は、沖縄における 父系の血縁一族のことで、墓は一族の共有です。 なので、沖縄のお墓は 本土に比べて 必然的に大きいものです。


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 窮屈に隣り合う 賑やかな墓地を見慣れてきた私には、墓域を堅牢な石垣で囲んだ大きなお墓に 足を一歩踏み入れるだけで、部外者を排除するかのようなオーラを ビンビン感じてしまうのは、そんな 沖縄のお墓事情があるからかもしれません

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