~浦添歴史散歩~王墓・・ようどれ


 ようどれ  ・・・夕凪 という意味があるそうです。
 夕暮れ時、風が止み、静かで穏やかになる様子・・・
 ようどれ・・ 夕凪・・ 口にするだけで心が穏やかになるような響きです。

 浦添城跡の北側の崖に造られた王墓、「浦添ようどれ」

 第二次世界大戦の際、日本軍の陣地があった為に破壊されましたが2005年に復元されました。

 ようどれへの道・・・「暗しん御門」 (くらしんうじょう)
 お墓に向かう意識を持つ為か、この道、進みながら、だんだん厳粛な気持ちになってきます。

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 先の戦争で破壊される前の「暗しん御門 」は、トンネル状になっていて「あの世」に向かうような雰囲気があった、と案内版に書かれています。


 ようどれは13世紀に英祖(えいそ)王(1260~1299)が築かせました。
 浦添城の一角に極楽寺を建立し、琉球に仏教を初めてひろめさせたのも英祖王といわれています。

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 その英祖王は、二つ並んだ墓室の、向かって右(手前)の墓室に眠っています。

 北山、中山、南山の三山が、勢力を争っていた時代の中山の王のひとりです。
 この頃の中山王の居城は浦添城で、後に、中山王の尚巴志に依って三山が統一され首里に遷都されることになります。


 向かって左の墓室には第二尚王統7代王 尚 寧(ねい)王が眠っています。
 1609年、薩摩侵攻により薩摩に連行され、琉球王国の苦しい岐路に立った王様です。
 首里にある陵墓、玉陵(たまうどぅん)には入らず、尚寧王の遺言で生まれ故郷でもあるこの浦添のようどれに納められた・・と、伝えられています。

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 戦前のようどれの貴重な写真です。
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 東シナ海を臨むところに浦添ようどれは佇んでいる・・・という印象です。
 今度来る時は、夕日に向かうようどれを見てみたい・・・と思いながら後にしました。

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  • 浦添ようどれ 今昔

    Excerpt:  「ようどれ」 は夕凪 の意味・・・  二人の琉球王が眠る 王墓です。  浦添城跡の 海を見下ろす北側斜面に 静かに佇む王墓は いつ訪れても静寂に包まれています。  「ようどれ」 と 名.. Weblog: 沖縄~ パライバブルーな季節風 racked: 2014-02-11 00:29