師弟の碑


 那覇市若狭 「護国寺」 の境内に並んで建つ 石碑。
 向って左は、「波之上の眼鏡(ナンミンヌガンチョー)」 と あだ名されるほど、実は ウチナーンチュに馴染んでいたの? ベッテルハイム
 右は、琉球において 牛痘の種痘を成功させた 仲地紀仁(なかち きじん)。


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 ベッテルハイムは 1846年、プロテスタントの宣教師として 伝道のために琉球を訪れました。

 護国寺を本拠として 約8年間 伝道に努めますが、目的を達成しないまま 1854年 帰国の途につく ペリー艦隊とともに 琉球を去ります。

 琉球語を含む 13か国語を習得し、医学博士でもあったベッテルハイム。

 ペリー来航の際には 琉米の仲介の役割を担ったり、 王府勤めの医師 仲地紀仁に 牛痘の種痘法を 伝授したとされています。


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 ちょっと アメリカ合衆国16代大統領リンカーン に似た面持ちの写真が残されています。
 たしかに、がっつり 眼鏡をかけた写真です。




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 琉球の医師 仲地紀仁。

 中国に留学した経歴を持ち、1839年には 天然痘治療への貢献を表彰されています。

 その後、さらに ベッテルハイムから 牛痘種痘を習い、1848年、子供への牛痘種痘の接種を成功させたとされています。

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 牛痘種痘のこと、ウィキペディアなどで 少し 調べてみました。

 天然痘の予防接種です・・・


 1796年、イギリスの医師 エドワード・ジュンナー が、牛が感染する牛痘の膿を用いた牛痘法を考案して世界に広まっていきます。


 日本では、1810年、 蝦夷地でロシアに拉致された 陸奥の国出身の 中川五郎治 が シベリアで身につけ、実際に治療を施していますが 普及には至っていません。

 1849年、佐賀藩の医師と オランダの医師が 種痘を実施したことで ようやく 全国に広まり、 1909年、「種痘法」 により 定着しました。


 天然痘の撲滅により 現在は 接種は行われていません。

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 琉球国では 1848年 仲地紀仁の 牛痘の種痘接種が 伝えられています。


 イギリスのベッテルハイムから教わったことから、 護国寺には 二人の石碑が並んで立ちます。

 こんなふうに、日頃 何気に 見過ごしている碑に、日本とは別の道を歩んでいた 琉球の存在を 改めて識ることがあります。


 参考: 『琉球・沖縄 歴史人物伝』 沖縄歴史教育研究会 新城俊昭



 

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