尚円王の息吹を感じる 内間御殿


 第二尚王統の始祖 尚円王が 《 金丸(かなまる)》 と 呼ばれていた時代に住んだ 内間御殿 の敷地を巡ってみました。
 かつてを彷彿させる 重厚な石積みや井戸、御嶽などの遺構が点在していています。


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      敷地入口から東江御殿方向を見る



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 内間御殿は 尚円王没後 約190年後の1666年頃、 旧居跡に 東江御殿が建てられたことに始まり、その後 整備が重ねられてきました。

 沖縄戦の被害を受けながらも 石垣などが良好に残り、祭祀信仰のあり方を知るうえで重要と、2011年2月 国の史跡名勝の文化財に登録されました。



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      東江御殿跡に建てられた神屋



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 尚円王の功績を称える碑が 生々しく残されていました。


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      《先王旧宅碑》
      御殿の由来が刻まれているようです




 ここに住まった 金丸(のちの尚円王)は 伊是名島の百姓から 国王にまでなった人物です。

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 百姓の頃から 類いまれな努力で 結果を残してきた人だったゆえに 妬みを受けることもあり、 そのため 居場所を 変えざるを得ないなかでも ステップアップしていき、 27歳の時に首里に出て のちの 尚泰久(第一尚王統6代王) に仕えます。
 尚泰久が 国王の座に就くと、金丸は 西原内間の地頭に任ぜられました。

 この時代、琉球国の繁栄は 《万国津梁の鐘》 に刻まれた 銘文が伝えています。
 金丸は目覚ましい活躍ぶりを見せていたのでは と 想像ができます。



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 尚泰久が亡くなったのち 第三子の尚徳が即位しますが、 国内は乱れ 尚徳王に退けられていた金丸は 内間に隠遁します。

 尚徳の死後、家臣達は 「民衆に施しができる者が王」 であると クーデターを決行し、1470年 家臣達に推された金丸は 第二尚王統 初代王 尚円 として即位しました。

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 クーデターが決行されている最中、金丸は この場所で 情報を受けていたという説もあり、、

 そうして この場所は 聖地となりました。



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      拝所


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      古井戸


 琉球王国の 繁栄の礎を造った人の息づかいが あちこちから聞こえてきそうな空間です。

 敷地内は整備事業工事がなされるようで、息づかいは しばらく 潜まるかもしれません。


 参考: 『琉球・沖縄 歴史人物伝』 沖縄歴史教育研究会 新城俊昭





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