プロジェクトX 首里城復元ふたたび


 昨日の早朝、上島珈琲店の記事をアップしました。
 件には 朝4時半に起きて眠れず、パソコンに向かったことを綴っています。
 その4時半頃、首里城正殿は炎の中にあったんだと、あの時間に 何と のんきに パソコンに向かっていたんだろうと、首里城が炎上するなんて考えたこともなかった、丘の頂きには いつも首里城があるものと思っていた、だから、早朝に 首里の丘を見ることもなかったんだと、様々な思いが巡っています。


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 6時過ぎになって テレビの速報を見て ベランダに出てみました。
 首里の丘には煙が上がっていました。 

 そして今、丘の上に 鳳凰のように 美しかった首里城の姿はありません。
 
 首里城正殿が復元された 平成4年、県民はどんなに誇らしい気持ちで 首里城を仰いだことか、琉球・沖縄の伝統工芸の粋を集めた 第一級の巨大な伝統工芸品、沖縄の宝物です。

 こんなことが現実に起こるなんて 考えたこともなかった。 まだ信じられない気持ちでいます。



 過去に、首里城復元を取り上げた 「NHK プロジェクトX」 の 記事を アップしていました。

 崩れ落ちた 悲しい姿の今を乗り越えて、不死鳥のように 首里の丘に舞い戻って欲しいと願って、過去記事をふたたび。



 「 プロジェクトX 炎を見ろ 赤き城の伝説 」2012年4月20日の記事から


 私のなかでは、 気づけば首里城は ずっと前からここに、当たり前のように存在していたのですが・・・
 真っ赤な鳳凰のような 現在の首里城は、長い復元期間を経て 平成4年 に公開されました。 ごく最近のこと! 


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 首里城の復元は、細かいパズルのピースをコツコツ探し、組み合わせていくようなプロジェクトだったようです。

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 1972年5月15日、 復帰をうけて首里城復元の声が上がります。


 1985年から 発掘作業が行なわれるものの、修復の決め手となる資料は 戦争で燃えてしまって 手がかりが無い!

 歴史研究家(当時)の 高良倉吉さんは、古文書や 家譜 を しらみつぶしに調べていきます。


 そんな中、文化庁に、昭和3年~8年の 「 昭和の大修理 」 の記録が保存されているのが見つかります。

 これで 建物の構造は解ったものの、石垣の高さや 石段の幅の記録がありません。

 

 王国が滅びて65年後の 1944年、 首里城の敷地には国民学校がありました。

 この国民学校の教師、真栄平房敬さんの記憶が この空白を埋めていきます。
 毎日通った国民学校、石垣や石段は身体が覚えていたと、、


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 戦前の首里城の写真は残されていますが、塗装も剥げてしまった様子の しかもモノクロ写真です。

 どんな赤色か、どんな塗装が施されていたのか解らない、、

 大学に寄贈された 鎌倉芳太郎の遺品の中にあった ひとつの古文書! 18世紀の王国時代の改修記録 『 寸法記 』 が見つかります。
 古文書には、 「朱ぬり」 「赤土ぬり」 の文字。  

 首里城の赤の手がかりを求めて、 北京 紫禁城へ、 ソウル 昌徳宮へ、、


 壁に塗られた弁柄色にはたどり着きますが、 窓の格子に塗られた 赤土 が解らない!

 高良倉吉さんは、久米島の役人が書いた献上品の記録の中に 「久米島の赤土」 の記述を見つけます。




 更に、発掘現場から掘り出された 赤瓦。 強くて、水を弾いて、鮮やかな赤色が 首里城の瓦です。 


 瓦職人 奥原崇実さんは、17才の時、昭和の大修理の 瓦の葺き替えに参加していました。
 体調を崩した崇実さんに代わって 瓦を焼く 息子の 奥原崇典さん。

 首里城に葺かれる瓦は 約5万5千枚、 それ以上の6万枚を失敗しながらも 父の執念が達成させたかのような 最高の赤瓦が焼きあがります。  

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 昨年、首里城正殿の赤色は塗りなおされ、 瓦も葺き替えられました。
 眩しいくらいの鮮やかさで迎えてくれます。


 あの赤色には こんな道程があったんですね、、

 沖縄の地に建つ、首里城の存在の重さを 改めて知りました。

 2002年2月に放映された プロジェクトX でした。

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